1958 - 1962 昭和33-37年
創業から“ショーボンド”誕生まで
1958年6月4日、当社は「昭和工業株式会社」として、東京都世田谷区に設立登記されました。創業者・上田昭が31才の時でした。
設立当初は、硬質塩化ビニールの加工や配管工事が主たる事業内容でしたが、1959年に入り、八久和ダム建設現場排水路のひび割れ補修で塩ビ板を内張りした際にエポキシ樹脂を用いて速やかに補修できたことをヒントに、同年9月、エポキシ樹脂系高性能強力接着剤(現在の#101相当品)を開発。その後用途別の接着剤を開発し、≪ショーボンド≫(登録商標)と命名して、11月より生産を開始しました。
1960年には、本社を東京都千代田区に移し、≪ショーボンド≫の販売・施工を開始。土木建設業界に受け入れられ易くするために、全製品とも主剤と硬化剤の配合比率を整数比とし、建設現場で広く合成樹脂接着剤が導入されるようになりました。
1963 - 1974 昭和38-49年
成長の時代、「技術のショーボンド」へ
1963年6月、社名を「株式会社ショーボンド」に改称。これを契機に数多くの高分子材料を土木・建築分野へ応用すべく、新製品・新工法を開発し、また、建設業の東京都知事登録を行い、工事請負体制も確立しました。
そんな中、1964年夏に発生した新潟地震により竣工間もない昭和大橋が落橋し、床版に無数のひび割れが発生。当時建設省土木研究所にて、当社の新たなコンクリート補修材料の実験を行っており、その工法が採用され復旧工事に参加、同年冬には工事が無事完了し完全復旧しました。この昭和大橋復旧工事は当社の進むべき道を決定づけた出来事となります。その後の追跡調査により、施工後50年経過してなお、強度が十分に保たれていることが判明しています。
1965年3月には、日本道路公団と共同で開発し特許出願した道路橋伸縮装置「カットオフジョイント」の試験施工を名神高速道路の一宮・小牧間で実施、その後高速道路建設の波に乗り、全国各地で施工されました。
1969年2月、建設業の登録を東京都知事から建設大臣許可に変更、補修に特化した特殊工事会社として、徐々に全国に営業拠点を展開していきます。
大阪万国博覧会関連工事を契機に、当社の規模は大きく変貌し、資本金は1970年には1億500万円、1973年には2億円となりました。
SBモルタルによる伸縮装置設置 島根県勝田橋
ショーボンドメジコークEによるパンケーキライトの埋め込み(大阪空港)
PC床版と桁フランジの結合 京葉道路
歩道橋のレジンファルト施工 (名古屋)
利根床版補強実験
1975 - 1982 昭和50-57年
“ショーボンド建設”誕生
1975年、株式会社ショーボンドを「ショーボンド建設株式会社」と「ショーボンド化学株式会社」に分離し、特殊工事会社として成長を目指す路線が明確となりました。
当時、世間は第一次オイルショック後の不況の波の中にありましたが、当社はこのような情勢にあっても順調に業績を伸ばし、1975年12月期には、売上高83億円と創業以来最高の業績を記録、更に決算期を6月に変更後の最初の1年間の決算であった1977年6月期には、売上高107億円と初めて売上が100億円を上回りました。
1977年7月に、技術研究所を大宮市(現さいたま市)に新設移転し、中央技術研究所と改称。土木技術と化学技術が融合した新製品・新工法を開発する「技術のショーボンド」の充実をはかりました。以降、スイス製管継手の輸入・販売や新工法の開発など多くの技術展開をひろげ、建設省建築研究所で実施された日米共同耐震実験においては、コンクリート耐震壁に入ったひび割れ補修にビックス工法が採用され、大きな評価を得ました。
1981年6月期には、初めて売上高が150億円を上回り、1982年6月期も150億円超の売上を記録しました。
宮城沖地震で被災した工事中の東北新幹線橋脚補修
トンネル面導水工法
日米共同大型耐震実験に参画
1983 - 1986 昭和58-61年
“補修”の時代の到来
昭和50年代末から昭和60年代初めにかけて、社会資本のストックが急激に増大した影響などから橋梁の床版等の損傷が進行し、土木建設業界では「補修の時代」の到来が少しずつ顕在化してきました。補修の時代の到来により、ゼネコン、橋梁メーカー各社も補修専門の子会社を設立し市場へ参入してきましたが、当社は独自のノウハウと豊富な実績で、新規参入業者に対抗していきました。
1986年、日本政府は内需拡大政策をとりはじめ、建設業に対しても早期発注や補正予算を付けるなど種々の対策が講じられ、当社は「コンクリート構造物の総合メンテナンス企業」として従前に増して補修市場に積極的に取り組んでいくこととなります。前年初めて売上高が200億円を超えた1986年6月期には、売上高は228億円に達しました。
支承の若返り工法
ビックスセットの発売
1987 - 1992 昭和62年-平成04年
株式上場をバネに大きく飛躍した時代
1987年5月、東京証券取引所第二部への株式上場を果たし、1987年6月期の売上高は253億円を記録しました。翌年、創立30周年を迎えた頃には、増資および社員数の拡大により中堅企業へと成長していきます。当社は「コンクリート構造物の総合メンテナンス企業」として地道に、着実に会社の基礎を築き、当社が専業で手掛けている補修のマーケットは順調に拡大、当社の売上高は4期連続2ケタ成長となりました。
1989年12月、東京証券取引所第一部へ昇格。バブル崩壊の混乱の中、組織や人事の改革、新技術の開発などを行い、時代を乗り切りました。また、1992年、創業以来社長として会社を牽引してきた上田昭が会長に、社長には副社長の桧垣茂が就任し、初めての社長交代を行いました。この年の売上高は、初めて400億円を超えました。スイスフラン建新株引受権付社債を発行し、設備投資のための資金調達を行ったのも、この年の出来事です。
青函トンネルの目地導水U型工事完成
東京証券取引所一部銘柄指定通知
1993 - 2000 平成05-12年
構造物の耐震化の時代
1993年、創立35周年を迎えた年には、売上高447億円、営業利益は創業以来最高の34億円を確保し、高収益体質を定着させました。
そのような中、1995年、阪神淡路大震災が発生。この地震発生の直前に耐震補強工事を施工した橋脚には被害がなく、逆に隣接する未施工の橋脚が被災し、当社の樹脂注入による鋼板巻き立て工法が橋脚耐震補強工法の一つとして注目されました。
1996年には資本金が101億円となり、業績好調による増配を継続し株式市場の活性化に貢献したことをもって東京証券取引所より表彰を受けています。
同年夏には補修工学研究所が完成し、技術開発や耐久性能などの評価設備が整えられ、ショーボンドの工法・製品の信頼性が大きく向上しました。設計コンサルタント会社を対象に見学会を催し、技術力PRも展開していきます。
阪神淡路大震災後に耐震補強工事が大幅に増加したことにより、1997年6月期の売上高は981億円に達しました。
1998年4月、会社の管理体制の構築に尽力した桧垣社長が退任、副社長の上谷章夫が三代目の社長に就任し、下水道や建築、農水などの周辺分野の開拓を目指す方針が示されました。
外ケーブル補強システムの公開実験
緩衝チェーンを開発
三代目社長・上谷章夫(社長在任1998~2005年)
ウルトラパネルの開発
2001 - 2007 平成13-19年
忍耐と変革の時代
この時期は、公共工事の入札ルールや法改正の影響などもあり、創業以来経験した事のない厳しい経営環境の中、2004年6月期には売上高が259億円にとどまり、創業の期を除けば初の赤字決算となりました。しかし、組織・制度の改変や品質重視の取組を行って、この苦難に正面から向き合い、翌年の2005年6月期には、早くも黒字を回復するなど社員が一致団結して乗り越えました。
その中でも2001年には首都高速道路の工事が全建賞を受賞し、また「PSシート工法」が、建設技術審査証明を取得しました。
2004年秋に発生した新潟県中越地震では、全社を挙げて橋梁等の緊急被災調査に対応しました。この年の冬、1964年の新潟地震で落橋し、震災復旧工事に参画した昭和大橋の補修後40年を経過した床版の健全度調査を行い、良好な結果を得ています。また、施工後19年を経過したスパンガードの撥水効果の追跡調査を行ったところ、優れた撥水効果の確認がとれており、当社のエポキシ樹脂は長期にわたる耐久性に優れていることが改めて証明されました。
2005年夏には副社長の石原一裕が四代目の代表取締役社長に就任。法改正による「総合評価方式による一般競争入札への移行」は技術力を持ち、豊富な実績を有する当社にとっては正に「追い風」となりました。また、様々な経費削減策を行い、筋肉質の企業へと変革を遂げていきます。
施工後19年を経過したスパンガードの撥水効果の追跡調査(布池教会・愛知県)
新潟県中越地震による被害調査
四代目社長・石原一裕(社長在任2005~2009年)
福岡空港(高架道路)耐震補強工事(鋼製橋脚の耐震補強:福岡県)
2008 - 2011 平成20-23年
“新生”ショーボンド
2008年、持株会社としてショーボンドホールディングス株式会社を設立。ショーボンド建設株式会社は、同社の完全子会社となります。この年の売上は344億円まで回復しました。
前年に米国ミネソタ州で発生した落橋事故等を受けた国土交通省が、道路橋の予防保全に向けた提言を行い、その中で「事後保全」から「予防保全」への移行と共に「点検の制度化」が謳われました。社会インフラの長寿命化を図るため補修・補強の重要性が増し、まさに補修・メンテナンスを主業としてきた当社としては、ここ数年直面してきた数々の厳しい局面を切り抜けるきっかけとなり、業績は回復・向上に転じました。
2009年12月、創業以来初となる自社保有の本社ビル(日本橋箱崎町)に移転。
同じ頃、会長の上田昭が私財1億円を拠出し、「一般財団法人 上田記念財団」を設立。社会への貢献活動にも関わりを持つようになりました。
2010年1月には、副社長の藤井宗司が五代目のショーボンド建設㈱代表取締役社長に就任、持株会社のショーボンドホールディングス㈱は石原社長、中核事業会社は藤井社長がそれぞれ社長を務める分業体制となりました。
2011年3月には東日本大震災が発生、想像を絶する人的・物的被害が津波によってもたらされましたが、津波被害以外の土木構造物の被害は比較的少なく、阪神淡路大震災以降実施された耐震補強の効果が立証されました。一方、これを受けて、耐震補強を行っていなかった構造物の補強工事が加速します。
この頃、当社は関西地方で土木学会技術賞および土木学会関西支部技術賞を受賞、組織としては地方自治体の発注形式にも対応できるよう地域施工子会社を全国12ヵ所に設置し、確実に成果を上げていきました。
五代目社長・藤井宗司(社長在任2010~2017年)
本社を中央区日本橋箱崎町に移転
2012 - 2018 平成24-30年
社会資本メンテナンスを巡る新時代の幕開け
2010年代以降、複数の大規模災害や事故を経験した日本では、構造物の耐震補強や老朽化対策の重要性が一層高まりました。
東日本大震災の教訓を踏まえ、2014年から国土強靭化基本計画に基づく取り組みが推進されているほか、2012年の笹子トンネル天井板崩落事故を受けて国内のインフラ老朽化対策が急務となり、政府は2013年を「社会資本メンテナンス元年」と位置付けてインフラ長寿命化基本計画を策定しました。これに基づき、高速道路リニューアルプロジェクト(2015年度~2030年度)が進められています。
当社グループでは、構造物の調査・診断、設計業務に特化した保全技術㈱を2011年に設立したほか、2016年にはショーボンド化学㈱とショーボンドカップリング㈱を合併してショーボンドマテリアル株式会社を設立し、M&Aにより㈱ミスミ特殊(現キーナテック㈱)を子会社化するなど、経営の安定化・収益力強化に向けた組織変革を進め、こうした事業環境の変化に対応しました。
そして業績拡大の波に乗り始めた矢先の2017年3月1日、創業者であり会長である上田昭が逝去しました。4月に行われたお別れの会には、社員をはじめ古くから親交のあった取引会社や関係者など多くの参列者が集まりました。
同年4月1日、社長の藤井宗司が代表取締役会長となり、副社長の岸本達也が六代目のショーボンド建設㈱代表取締役社長に就任、また同年9月には、ショーボンドホールディングス㈱の設立以来同社社長を務めた石原一裕に代わり、岸本達也が二代目の持株会社社長に就任しました。こうした世代交代により新たな時代を迎える中、2018年6月4日に創立60周年を迎えました。
SNゴム支承(高面圧タイプ)の開発
ショーボンドマテリアル株式会社設立
2019 -令和01年-
『変化こそ進歩なり』
高速道路会社から発注される補修・補強工事が大型化する中、当社はさらなる成長加速のステージに向けて事業戦略の高度化や基盤強化を進めています。
事業戦略については、2020年4月に東西カンパニー制を導入して広域で効率的な受注体制を構築したほか、キーナテック㈱をはじめとするグループ会社との協働や高速道路のニーズをとらえた技術開発などにも取り組んでいます。基盤強化については、「人的資本」への投資と安全文化創生に注力しています。積極的な採用活動により、2024年には社員数1,000名に到達しました。2020年1月に開始した安全文化創生プロジェクトによって安全文化の醸成を目指し、2021年10月に開設したつくば研修センターで実践的な教育を行いながら、協力会社も含めた強靭な施工体制を構築しています。これらの施策により大型工事の取り込みに成功し、2023年6月期には工事売上高に占める高速道路の割合が66%に到達、売上高・利益ともに成長を続けています。
2019年4月には、三井物産株式会社との合弁会社「SHO-BOND & MITインフラメンテナンス株式会社」(SB&M)を設立し、メンテナンス事業の海外展開を始めました。インフラの老朽化が深刻化しつつある海外において、当社の技術を展開し、課題解決に貢献することを目指しています。
2020年にはタイの複合企業サイアム・セメント・グループ傘下のCPAC社との合弁会社「CPAC SB&M Lifetime Solution Co., Ltd.」を現地に設立したほか、2023年7月には、米国のインフラ補修事業者Structural Technologies, LLCへ出資しました。
2022年4月の東京証券取引所市場再編に伴い、当社はプライム市場を選択しました。日本の産業界をリードする「プライム企業」としての自覚と責任を持ち、業績面だけにとどまらない企業価値の向上を目指します。
2023年6月4日には、創立65周年を迎えました。創業者が大切にしていた進歩への情熱を胸に、これからも挑戦を続けていきます。
CPJ-L(低弾性ラテックス改質超速硬コンクリート)を開発
補修工学研究所が土木学会の「インフラメンテナンス特別賞」を受賞
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